あなたならば、きっと
064:甘い言葉は鋭い牙のようなものでしかなく
好きだと言われることに倦んだ。交渉の道具に扱われる時も、部下として慕ってくれるものが薔薇色の頬をして語りかけてくれる睦言も。
好きだ
好きです
言われるたびに耳をふさぎたくなる。その言葉が抉る。犯す。藤堂が藤堂であろうとすることさえも阻む。その甘い言葉を飲み込んでしまえたらどんなにか楽だろうと思うのに。スキがキライだった。自分は他人から好かれるような性質ではない。軍属として派手な戦績を上げ、下士官たちから憧れとも尊敬ともつかぬ眼差しを向けられてそれは針のように無数に藤堂の皮膚に突き刺さる。こわい、と思う。その眼差しに応えなくてはならない。良きにつけ悪しきにつけ何らかの反応が必要だ。それがひどく、ひどく負荷だった。私はそんな出来た人間ではない。私は、そんな。それでも藤堂が与えられた奇跡の名にふさわしい成果を上げた。ぐにゃりと飴のように溶けてしまいそうだった。目の前の任務をこなしている時はいい。成功のために皆がそちらを向いている、だがそれが終わったときに向けられる尊敬の眼差しは、無数の針だった。
そんな折だった。黒の騎士団を率いるゼロという不詳の人物に直々に呼び出されてその正体を明かされた。ルルーシュ。知っているだろう。知らぬというなら思い出すまでしつけるまでだがな。大戦前に公然と人質として極東の地に来た兄妹の、兄。攣れて渇いた喉に喘ぐ藤堂にルルーシュはふんと鼻で笑った。
「吹聴するか?」
「…――しない、が」
お前には頼みがあってな。頼み? 閨の相手をしろ。そのあたりの商売女を連れ込むわけにはいかないだろう。それに女は嘘を吐くからな。私、などで。ん? 私などが相手で成り立つのか? お前にしては直截的な物言いだな、藤堂。
「いいから、来い」
ぐいと襟を掴まれて寝台の上に引き倒される。いつでも覆せる腕力差だと思うからこそ余計に怯んだ。脆弱なルルーシュの体はわずかな負荷で手折れそうで壊れ物のように感じられた。その華奢な体躯が藤堂を組み敷く。与える印象も施せる強制力も何もかも承知している動きだった。
「藤堂、お前はひどく、ひどく可愛いな」
「そんななりではないが」
固い鳶色の髪。精悍な顔立ちと軍属という肩書に見合うだけの強靭な体躯。裂傷や擦過傷、銃創といった傷まで残っている。その傷にルルーシュは丹念に指を這わせた。そういうお前はいいな。
「本当にその状態であるものはそれを自覚しないという。お前は無自覚の愛らしさがあるぞ」
そういうところは好きだ。
ぞ、わり、と冷たいものが髄を駆け落ちていく。ひやりと冷える思考と裏腹に体はルルーシュの手解きに従って拓いていく。――やめて、くれ。なにがだ。
「体は好きにすればいい。だがその言葉、が」
「馬鹿だな、慣れろよ藤堂。お前は好意を向けられるに値する人物だぞ」
少なくともゼロの機密性の土台になってくれているわけでもあるしな。胡散臭いゼロという男を、藤堂鏡志朗がついていくならついていくという輩は多いということだ。オレは正確に状況を把握しているつもりだ。藤堂はゆるゆると首を振った。私はそこまで影響力はない。過小評価するな。それともそれは奥ゆかしいとかいう美徳なのか? 戦闘上では邪魔なだけだぞ。藤堂の灰蒼の双眸がルルーシュの紫水晶を射抜く。私程度の影響力を当てにするとも思えないが。あてにはしてない。だがないと考えるほど軽微でもないさ。お前はもう少し自分を判れよ。
「お前はお前が思うほど過少ではないぞ」
「…心得ているつもりだ」
「足りんさ。藤堂、オレはお前を好いている。ルルーシュとしても、ゼロとしても」
お前は自分をないがしろにするが、そこまで捨てたものではないぞ。ルルーシュの細い手がバリッと襟を開く。滑り込んでくる手は少し冷たい。ぶるりと身震いするとルルーシュはその紅い唇で弧を描いた。藤堂。
「身を任せろ。お前にはそれだけの――価値が、ある」
紅い唇が銃創に触れる。好きだよ、藤堂。言いながら、ルルーシュは――ゼロは、藤堂が不必要になれば切り捨てるだろう。その冷淡さがひどく心地よかった。藤堂は四肢から力を抜いた。素直だな? ルルーシュの言葉にも噛みつかない。ルルーシュは嬉しげに口元を弛めた。
「可愛い奴だな、藤堂」
奇跡の責任を取れと言った
だが奇跡を起こせとは言わなかった
お前の所為だと言われてその言葉は深く突き刺さった。同時にどこかで己が感じていた答えでもあった。互いに捨て捨てられる関係であればよかった。
「なりを見てから言ってくれ」
美貌としか言えないルルーシュの顔を見て藤堂は言った。ルルーシュはゼロという仮面を脱いでいた。
「要らなくなったら捨ててくれていい」
「なにを拗ねてるんだお前は」
藤堂は。
じゃれて立てても爪も牙も本物だ。だから。
藤堂の応えは自嘲のような笑みだった。
《了》